違う価値観の人と生きる

カナダ留学を通して

このブログでも一度書いたとは思うけど、僕はカナダに一年間行っていたのね。その時に違う価値観だったり、宗教だったり、違う言葉を母国語にする人たちと生活したのはとてもいい経験だったな。

実は日本には250万人以上の外国人の人が住んでて(法務省平成29年度データ)、もう身の回りにそういった人たちが多いって人もいると思う。僕の実感としては、まだあまり外国人の人たちは周りにいないかな。

違う価値観の人たちと生きてたけれど、僕はそこでたくさん学んだ。もちろん、気を使わなきゃいけない部分もあったけどね。これからは、それが普通になると思うんだ。

互いに違う文化を持つから、文化の違いで色々と問題になる部分はあると思う。例えば、カナダで問題になってたのはイスラム教徒に対しての警察官の行動だったり。イスラム教徒だから、職質されたり、すぐ疑われたり。いい例として、メディアがイスラム教徒による犯罪の場合には「イスラム教徒が」って一文をつけるけど、キリスト教、他の宗教の時にはそういった一文は乗らないのね。これはすごく、違和感を覚えた。

すごく理想論かもしれない。でも、僕は世界の人々は仲良くなれると思いたい。留学先のホストファミリーは今でも家族みたいな存在なんだよね。僕があの家に住んでた時、ホスト以外にもブラジルとベトナムからの留学生も居たんだよね。彼らの価値観と僕のは全く違ったかもしれないけど、本当に心の底から兄弟って呼び合える関係にもなった。

みんな全く違うバックボーンを持ってるのに仲良くできたのは「互いを理解しようとした」からだと思ってるの。時に口論になったりはしたけど、僕は揉めたからこそ学べたものもあるんだ。

友達の家に遊びに行ったりしたときも、食べ物だったり、考え方だったりが全く違う人が多くて、学びしかない時間を過ごせたな。

僕が思うこと

留学を通して、色々な宗教や価値観に触れた経験が今の自分を作っていると思うんだ。そして、僕は「人の価値観や違う文化を理解は出来ないかもしれない。でも、理解する努力はできる。」と思っているんだ。人がなにを考えているのかなんて、超能力者でない限りわからないけど「気を使う」とか「されて嬉しいことをする」。そんなことは意識1つで、できるようになるんじゃないかな。周りに違う価値観の人とかがいたら僕はこんな考えで、理解できなくてもしようとする努力はするようにしてる。

旅行に行った時にその国のローカルな食べ物を食べてみるでもいいし、その国で多く信仰されてる宗教の勉強をしてみる。こんな「些細なことから始めればいいんじゃないかな。」なんて思ってる。旅行きっかけでも興味を抱いたカルチャーは調べたり、そこに住んでみても面白いんじゃないかな。人生100年時代だし、少しの間そう言った期間があっても僕はいいと思うんだ。

LGBTQの人たちに対しての接し方も変わった。今の考えは「みんな一緒じゃん」なのね。もう少し詳しく言うと、僕は男性も女性も他の性別もみんな同じ人間なんだからみんな一緒じゃんって思ってる。女性の社会進出はもっと進むべきだし、家庭内でも家事の分担だったりはもっと平等になった方が暮らしやすいんじゃないかな。今度、本の記事で書くつもりでいるんだけど、世界的にみれば女性も教育を受けられる世界になってきてる。低所得層の女子でも60%が初等教育は修了する。大体の人が20%くらいの割合でしか修了してないと思い込んでるけど。

ポイントは思い込みってところ。意外とLGBTQって呼ばれる人たちの割合は高いんだよね。こうやって性的マイノリティっていう枠で囲ってしまうのもまだ、彼ら・彼女らが生きにくい理由だと思ってる。

そんな枠で囲わないで、それが一般になればいいな。

人から教えてもらった本なんだけど「インターセックス」って本があって、性について書いてたりするから読んでみてほしいな。性別について根底から考え方が変わるから。

2019 1月26日

ゴリラの脳内
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